礼拝のメッセージ要旨
牧師によって語られた聖書からのメッセージの要旨です。
ザカリヤはメシアの現れが、アブラハムと結ばれた神の約束の成就であることを理解していました。今朝もザカリヤの賛歌から学びます。
第一に、神は約束を忘れないお方です。
神のあわれみは、川の流れのようにアブラハムから始まり、全世界へと広がりました。人の理解を超えた神の約束は、定められた時に必ず成就するのです。私たちも失望することなく、祈り求め続けましょう。
第二に、恐れなく主に仕えることです。
旧約時代の神の民は、律法違反への恐れ、不完全な犠牲による罪責感に支配されていました。しかし、キリストは私たちを「恐れなく主に仕える」者へと変えてくださいました。これは旧約と新約の決定的な違いです。今私たちは、神への健全な畏敬の念を持ちつつ、喜びと感謝の礼拝を献げ、愛をもってお仕えすることができるのです。
第三に、日々の歩みが主への礼拝・奉仕です。
主の御前に敬虔さ・正しさが求められます。教会・職場(学校)、礼拝・仕事のすべてが主のためになされているでしょうか。与えられた恵みに感謝しつつ、日々の生活を通して主を拝し仕える者とされましょう。
世界の創造主が無力な赤子としてこの世に来られました。飼葉桶に寝かされた救い主イエスの誕生に神の摂理が隠されています。
第一に、世界を動かす神の時です
当時のローマ皇帝が出した住民登録の勅令も、神の御手の中にありました。預言者ミカの預言が成就したのです。さらにローマの平和、街道、共通言語も、福音が「地の果てまで」届くための神の計画でした。
第二に、預言を成就する神の方法です
マリアとヨセフは、ナザレからベツレヘムまでの過酷な旅を強いられました。神はこの困難さえも用いて、語られた預言を成就されたのです。ダビデの子孫であるイエスが、ダビデの町で誕生するためでした。
第三に、罪人のための神の備えです
客間には場所がなく、救い主は飼葉桶に寝かされました。飼葉桶はこの世による拒絶を語ります。貧しい者への恵みを示します。そして十字架への予兆でもあります。神の御子は最も高い栄光の座から、最も低い飼葉桶に降りて来られました。最も低い者たちを救うためです。
失われた銀貨の物語は、神から離れた私たちと、私たちを捜し求める神の愛を教えています。この銀貨は、私たち一人ひとりのことです。
第一に、私たちは気づかずに失われた者です。
銀貨が家の中で失われたように、私たちも神から離れた存在です。銀貨が自ら戻れないように、私たちは自らの力では決して神のもとへ帰ることはできません。心の空虚さは、神から離れているしるしです。
第二に、神はあきらめずに捜し続けておられる方です。
女性は「明かりをつけ、掃き、見つけるまで捜し」ました。神も同様にイエスという光を送り、「見つけるまで」捜し続けてくださいます。神は私たちを知り、罪と死の中から救い出してくださるお方です。
第三に、神に見出される時、天には大きな喜びがあります。
見出された者には聖霊による悔い改めと信仰が与えられます。私たちの罪のために十字架で死に、復活されたイエス・キリストへの信仰です。この方が私たちを暗闇から永遠のいのちへと導いてくださいます。