礼拝のメッセージ要旨
牧師によって語られた聖書からのメッセージの要旨です。
主の教会が注意すべき警告から学んでいます。今朝は、不敬虔な者に対する神の警告、敬虔な者に対する希望と励ましから学びます。
第一に、確実なさばきです。
聖書より3つの事例が挙げられています。堕落した御使いたち、ノアの時代の不敬虔な者たち、ソドムとゴモラの人たちについてです。神は不敬虔な者を決して見過ごしにされるお方ではありません。
第二に、確実な守りです。
神がどのように義人を守られたかが示されています。罪の世に「義を宣べ伝えた」ノアは洪水から、ロトは滅亡の中から助け出されました。神はいかなる罪の世にあっても義人を守られるお方です。
第三に、主は知っておられるのです。
主なる神は、敬虔な者と不敬虔な者を完全に知られているお方です。滅び行く世にあって恵みにより救われた私たちは、主を恐れ感謝しつつ敬虔に歩みましょう。主は今も最善の時と方法を示されるお方です。
ルカの福音書は、ヘロデ王と祭司ザカリヤという対照的な二人から始まります。今朝は、ザカリヤとエリサベツの歩みから学びます。
第一に、神の前に生かされている人生です。
「私たちは神の中に生き、動き、存在している」(使 17:28)とあるように、信仰の有無に関わらず、人は皆、神の御手の中にあるのです。祭司ザカリヤは、常に神を意識しつつ御前に歩みを重ねていたのです。
第二に、神の前に義とされたのです。
当時の宗教指導者たちは神について語りましたが、主は彼らを「偽善者」と呼ばれました(マタイ 23 章)。ザカリヤとエリサベツは神を信じる者であり、来たるべきメシアにより自らの罪の贖いを待ち望む信仰者でした。彼らは完全でありませんでしたが義と認められたのです。
第三に、神の前における忠実な歩みです。
彼らは神の前に忠実な者でしたが、大きな試練の中にありました。その中で忠実に歩み続けることができたのです。日々私たちも神を仰ぎ見つつ、恵みによる救いを感謝し、神の前に生きる者でありましょう。
長きに渡る沈黙を破り、神はナザレの村に御使いを遣わされました。大いなる出来事が、一人の少女への語りかけから始まったのです。
第一に、 神の完璧なタイミングです。
「六か月目に」という指定は、神の救済計画の精密さを示します。御使いガブリエルの派遣は、天と地を結ぶ神の直接的介入でした。驚くべきことに、エルサレムではなく、小さな町ナザレが選ばれました。
第二に、神の恵みによる計画です。
御使いは、マリアに「恵まれた方」と呼びかけます。彼女の立派さではなく、神の一方的な恵みが示されています。さらに戸惑うマリアに「恐れるな」と力強く励まし、恵みの計画が明らかにされるのです。
第三に、神の約束の救い主です。
「イエス」という名は「神は救い」を意味し、その使命を表します。「大いなる者」「いと高き方の子」「ダビデの王位」「永遠の支配」は預言の成就であると同時に、それを超越する啓示です。この告知は過去の出来事で終わったのではなく、今日も響いている神の言葉です。